音のファンタジー
ショパンの音楽の幻想をテーマにした西水佳代の最新アルバム。幼少時から並ならぬ即興の才能を発揮したショパンは即興から変奏やロンドの形式に発展させた作品を多数作曲し、やがて自らファンタジーの世界への迷い込んでいきます。西水佳代とともにショパンの楽譜にちりばめられた宝物を探しに行きませんか?
収録作品:ショパン~幻想即興曲・ノクターン第3番・華麗なる変奏曲・ロンド変ホ長調・幻想曲・子守唄・幻想ポロネーズ
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音のファンタジー
ショパンは幼い頃から即興演奏が得意でした。普段から家族や友達にお話を聞かせるようにすでにあるメロディーや自分で考え出したメロディーをもとに自由奔放にピアノで演奏していたようです。皆もそれに聴き入り楽しみ、時には涙を流し彼の演奏を称賛しました。公のコンサートでもアンコールでの即興演奏はいつも評判でした。
ショパンの作品の中には即興演奏の要素がふんだんに盛り込まれています。最初にひとつの短い曲として表示したテーマ曲にリズムや調子、ハーモニーや拍子を変化させ手を加えながら第1変奏曲、第2変奏曲と発展する変奏曲や、主題がいくつか別のメロディーをはさんで途切れることなく幾度も繰り返されるロンド(輪舞曲、回旋曲とも言われる)は初期の作品に多く見られます。やがて曲名にロンドや変奏曲と題することはなくなりますが、ロンド形式や変奏曲形式をとった作品がたくさんあります。有名なピアノ協奏曲第1番、第2番ともに終楽章はロンド形式で書かれていますし、ショパン自身変奏曲と名付けるかどうか迷った末子守唄として残された晩年の名曲もそのひとつです。
自然に湧き上がるような即興も多彩な変奏もファンタジーなしでは生まれてこないでしょう。青年期に作曲されたロンドや変奏曲はまさにおとぎ話の世界ですが、留学先でポーランドの悲劇の知らせを受けたショック、帰るに帰れぬ故国への望郷の念、婚約破棄、父の死、体調不全などの苦悩を重ねるうちに作曲しながらも自分が奥深い幻想の世界に迷い込むのを自覚し戸惑いましたが、幻想曲や幻想ポロネーズのように自ら作品に幻想(ファンタジー)と命名するようになりました。ちなみに世界中でショパンの名作として広く愛されている幻想即興曲は作曲者にとっては駄作で出版は見送られ、ショパンの作品の清書や身の回りの世話をしていた親友のユリアン・フォンタナがタイトルを与え遺作として出版したものです。
ショパンの音楽の中で同じ旋律が繰り返されるとき、2度同じ形で現れることは滅多にありません。どこかに装飾音が付け加えられていたりリズムに付点がついていたり、スラーのかけ方が違ったり伴奏が微妙に変わっていたり。このアルバムのノクターン第3番はそのよい例でしょう。毎日通る一見変わりない同じ道にも実は全く同じなことは決してないように。その違いに気をつけて楽しむか、違いがある事すら知らず退屈に通り越すか。さまざまなところに潜んでる微妙な変化を見つける楽しみを覚え、わざわざ立ち止まらなくても私は知っていると微笑んで通り過ごすのでは人生の豊かさも変わってくるように。ショパンの楽譜の中にちりばめられている宝物をどれだけ見つけいかに楽しみ味わうかは演奏者の人間性が反映されるように思います。そしてそこにショパンの音楽の面白さと難しさがあるのでしょうね。
2014年3月 西水佳代
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小さいころから即興演奏が得意だったショパン。ピアニストとしてデビューした後も、アンコールには即興演奏をしていたショパン。もし今ショパンが生きていたらジャズマンだったのでは?とすら思えます。 ショパンは自分の作品の出版には非常に気を遣っていました。「生前に出版を決意しなかった作品の楽譜は僕の死後すべて燃やしてくれ」と頼んでいたほどです。その遺言を聞き入れられず、遺作として1番に出版されたのが今や世界中で人気のある「幻想即興曲」です。作曲者本人は出版に値するものではないと思っていた曲が時代を超えて世界中の人に愛されるものになるとは、皮肉なものです。 ショパンは一つのモチーフに限りない可能性を見出し、即興演奏することができたのですから、それらを集めて一つの完成した曲として記譜し出版するということは、広がる可能性から最高のものを選択する必要があったので、それは苦労したことでしょう。同じテーマについてもその時の気分や状況、時期によって感じ方や考え方は変わるものですし、その表現の仕方も様々です。即興演奏ならばその場限りで済ませられることも、楽譜に残すとなればそうはいきません。
有名なアメリカのジャズピアニスト、キース・ジャレットの歴史的即興演奏といわれるケルンコンサートはライブで録音され聴く人々を虜にしました。この名演奏を楽譜にしてほしいと世界中から懇願され続けながらキース・ジャレットは頑なに断っていました。しかしついにコンサートから15年以上経ってやっと出版に踏み切りました。 出版を渋っていた理由は、「この音楽はある夜に行われた全くの即興演奏によるコンサートのもので、それは生まれた瞬間に同時に消えてゆくべき性格を持っている。そして(…)その音楽がレコードの中で存在しているのと同じように採譜していく、楽譜に書き取っていくということが実際はほとんど不可能な部分がたくさんある。」*からだったのですが、結局「この即興演奏はすでに永続的な形、すなわちレコーディングされたものとして存在しているわけだ。そして、採譜はその音楽を描写=象徴しているに過ぎない(ただ、しばしば信じがたいほど、この楽譜は音楽に近づいている)。そこで、ついに私はこの監修版楽譜の出版を決意した。」*と言及しています。そして出来上がった楽譜については「ひょっとしたら〝インプロヴィゼイションの絵画〟と言ってもいいかもしれない」という表現をしています。 もちろん、即興演奏のコンサートを後から採譜して楽譜にするのと、ショパンの作曲の過程は違うものですが、このキース・ジャレットの言葉は、頭の中から湧き上がる音楽を記譜し一つの作品として完成させ出版に至るまでの、ショパンの葛藤に通じるものがあるように思います。
ショパンはピアニストとしてよりも作曲家として評価されることを望んでいたので、ショパンの作曲家としての責任感は人一倍強かったようです。それだけに出版を決意した作品の楽譜には隅々まで彼の創意工夫が施されています。それは本当に細かく、ついつい見逃してしまうことが多いのですが、何度も何年も繰り返し弾いているうちにまた新しい発見をしその意味を感じ取れた時に鳥肌が立ったことはたびたびあります。そんな瞬間を味わいたくて、そしてその喜びを分かち合いたくて、ショパンを弾き続けています。
* キース・ジャレット『ザ・ケルン・コンサート』(楽譜・日本ショット株式会社)へのまえがき
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